尼崎の事故列車に乗っていた運転士2人をあなたは非難できるか?

この事故に関しては、まだ検証が続いている状況で何とも言えませんけど、とりあえずは「オレら毎日ギリギリのところで通勤してるんだなあ」という目の前の寒気と、「競争能力のない組織が競争状況で無理をするととんでもないリスクを抱えることになるんだなあ」という一般論(言い過ぎだったらすまぬ)。

尼崎脱線事故:事故車乗車の運転士2人、救助活動せず出社 [mainichi-msn.co.jp]
「乗客」の運転士2人、救助作業せず出社 JR脱線事故 [asahi.com]

で、現場を知らない人間ながら気になるのが、昨日今日のニュースで出ている、事故車に乗り合わせた運転士2人が救助活動に加わらなかったことに関する非難の声。「敵前逃亡だ」という人までテレビに出てきましたが、ホントにそう言えるんでしょうか。

ひとつには「あのとき運転士に何ができたか」。

JR側の言葉を引けば、「マニュアルはない」が「指導はしている」。本人の言は「動転していた」。結果、ダメじゃん、という反応になってしまうわけですが、順番を変えれば「指導はしたことがあるが明確に手順を決めていたわけではない」ということで、さらにひとりは動転していたとはいえ会社に連絡していちおう判断を求めているわけですよね。別にダメとは言えないんじゃないか。

で、この二人は運転手。その場にとどまったところで、一般人以上の働きができたのか。その場で作業に参加するより、自らの持つ特殊技能を活かして、時間通りに職場に着き、できるだけ通常のダイヤを守ろうとする方が全体として正しい判断だという可能性もあるんじゃないのかな? こればっかりはその現場の状況がわからないので何とも言いにくいんですが。

広報とかリスク管理とか、本社機能の立場から言うと、状況を逐一知らせてくれる人が現場にいてくれることは全体の判断の上で非常に助かるんですが、こういう役割も件の人から見たら「敵前でボーッとしやがって」ってことになりそうだなあ。

もうひとつは「人間は結局、自分の都合のいいようにしか認識せず、行動しない」ということ。

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マルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイント』という本がありまして、196ページに「神学生の良心を試す」として興味深い実験結果について書かれています。

とある神学校の複数の学生に、聖書のテーマに基づく発表を依頼します。そしてその発表会場に行く途中に、道で人が倒れて苦しんでいる、というシチュエーションを用意します。そのとき被験者である神学生は、倒れている人を助けるかどうか。

事前にその人の宗教への態度を聞いたり、人助けに関するテーマを依頼するかしないかなど、いくつかのパターンを用意したものの、いちばんその被験者に影響をあたえたのは「人助けに関するテーマを依頼したかどうか」ではなく「発表までの時間に余裕があるかどうか」だったとか。

この実験が示唆しているのは、行動の方向性を決めるにあたって、心に抱いている確信とか、今何を考えているかというようなことは、行動しているときのその場の背景ほど重要ではないということだ。『あ、遅刻だ』という言葉が、ふだんは哀れみ深い人を他人の苦しみに冷淡な人に変える – あの瞬間だけ別人にしてしまう – 働きをしたのだ。

彼ら運転士は、自分の勤務時間に合わせて通勤していたはずですよね。彼らにとって「その場の背景」として「勤務時間に間に合わなければ」という思いが強くあって、しかもそれは毎日繰り返され、脳内にはっきり回路ができた行動パターンだったわけですよね。そこで事故にあって、その場の作業に加わらなかったとしても、そんなに非難できる話ではないと思うんですよ。

たとえば自分を振り返って、出勤途中に車いすのひとが階段で立ち止まっていたとして、あなたは何かしますか? 駅員さんがなんとかするだろうと思ってそのままにしていませんか? 私も学生時代は(知り合いに車いすの人もいたりするので)けっこう声をかけたりしたものですが、最近は休みの日でもなければそのままにしてしまいます。

たとえば終電ギリギリのターミナル駅でぐったりしている人を見かけて、どうします? 自分が何かしないまでも駅員さんに通報したりしてます? もしかして翌朝「会社員、自分の吐瀉物をのどに詰まらせて窒息」とか記事になってたらどうします?

あの事故と酔っぱらいとは次元が違うというかもしれませんが、それは後付けの理性的な判断であって、瞬間的な脳内での判断プロセスとして「イレギュラーな状況とレギュラーな状況のどちらに適応するか」ということで同じじゃないんでしょうか。たいていの人はレギュラーな行動を取ろうとするはずですよね。

身近な話で、地下鉄サリン事件のあの車両に乗り合わせた人(会社員)の話。その人、その場では事件には気付かず(そりゃそうだわな)、なんとなく「向こうの床が濡れてるな」くらいの感覚で出社したんだそうです。会社に行っても部屋がなんとなく暗くて「きょうは雨かな」とか同僚と話していたそうです。で、テレビやなにかで大騒ぎになっていることを知って、「あれ、オレその電車乗ってた」と気付いて病院へ。「異常に瞳孔が狭まっている」と医師に言われ、そのまま入院したそうです。

まあ、そのくらい人間というのはその場の(想定外の)状況を把握できないものであり、また自分の都合(背景)優先で生きているわけです。この運転手さん2人も、自分がその列車の責任者だったらそれなりの働きをしたんだと思いますよ。

別に賞賛するつもりもないですけど、「ふざけんな!」という声もあげづらい。会社的には処分されてしまうみたいですが、彼らが救出作業に参加するとしないとで、助かる人に違いがあったのかどうか、だれかが算定した上での処分なんでしょうか・・・。


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1 Comments

  1. moriy

    さすがに脱線事故であることは認識してたはずだし、なにかその場でしてくれよ、という感じは確かにするので、上の話はちょっと極端かなと。
    でも「運転手はなぜ急いだのか」とかいう見出しを見ると、「いや、結局は客が急がせたんじゃないの?」と。遅れたら遅れたで文句言うでしょうに。とりあえずJR西を悪者にしておけばいい、という話ならそれはおかしい。

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